ブログ開設から取り上げたいと思っていたテーマのひとつが「器・陶器」です。私自身そこまで多く収集している訳ではありませんが、器が好きで、陶器ギャラリーや窯元などに行っては少しずつ気に入った器を自分用や贈り物として買ったりしています。
今回ようやくその器をテーマで記事を書きますが、その第一回目が私の大好きな器「小鹿田焼」です。
小鹿田焼を知ったきっかけ
私と友人たち数人で毎年の恒例行事にしている事があって、それは大分県の湯布院への旅行です。(毎年と言ってもまだ2回目なんですけどね..) 実は友人の親が湯布院出身で、その繋がりで湯布院で旅館を経営されている方のゲスト用の建物があるんですが、そこへいつも格安で泊まらせてもらっています。その建物が古民家を改装しているのですが、なんと秋田県から古民家を解体して移築しているらしいです。
そしてオーナーさんは旅館や施設などの空間をプロデュースされる方で、内装や建具、置いている家具類が本当にセンスが良いですし、天井も高くて建物自体も大きいです。毎回5〜6人で泊まっているんですが、部屋が余るくらい結構な広さですね。
もちろんお風呂は温泉が引いてあって、24時間いつでも好きな時間で入ることが出来て、さらにはキッチンもついているので行くと友人の親戚のおばさんが採れたての野菜などを用意してくれているので、みんなで料理を作って食べています。(建物がゲスト用で一般の人が利用することができないんですよね。なので写真をお見せできなくて残念!)
話が脱線しちゃいましたね..そんな素晴らしい湯布院旅行なんですが、周辺を観光しようと思って色々調べていた時に見つけたのが、湯布院から車で1時間くらいの場所で、日田市北部の山間にある”小鹿田焼の里”でした。
小鹿田焼とは
民藝の器として知られる小鹿田焼(おんたやき)は、西暦1600年に朝鮮から
連れてこられた陶工により開窯された小石原焼(福岡)の兄弟窯です。
このため、技法などは小石原に共通するものが多いのが特徴です。小石原から招かれた柳瀬氏と日田の黒田氏によって小鹿田焼の歴史は始まります。
約400年の歴史を持つ小石原焼(福岡)や龍門司焼(鹿児島)に並ぶ歴史の長さを持ちますが
そしてそれを今も守る独特のシステムがこの焼物を守り、
これらのことが柳宗悦やバーナード・リーチにより大きく評価され、その名前が全国に知れ渡りました。小鹿田焼の器の特徴はなんと言っても「飛び鉋」や「刷毛目」「櫛描き」の技法。
そしてそこに「流し掛け」や「打掛け」といった華飾。しかしこの産地はかつては大きな甕や壷を焼く産地で、生活雑器を焼く産地ではありませんでした。
打掛けや流し掛けといった技法は古いものにも見られますが、
小石原と同じく、「飛び鉋」や「刷毛目」は大正期から取り入れられたものと言われます。小鹿田焼の窯元は全部で10軒。
柳瀬・黒木・坂本・小袋(黒木系)の4姓で、いずれも開窯からの流れを汲む窯です。小鹿田焼は一子相伝が開窯以来の習慣ですから、ひっそりとしかし脈々と受け継がれてきた窯場と言えます。
現在は10軒のうち5軒が共同窯で、5軒が個人窯として運営されていますが、
それらは全て「小鹿田焼」という共有のブランドであり、個人の名前を器に入れることはありません。地域が一つの価値観を持ち、コミュニティを形成しているというのは窯業に関わらず、現在の日本では
極めて珍しい仕組みなのではないでしょうか。全体が一つの家族であるようなその仕組みからは、
我々は今もって色々なことを学ぶことができそうです。引用:みんげい おくむら
説明にもあるように、柳宗悦とバーナード・リーチ(それぞれの説明は省きます)が日本の”民藝運動”の中心的人物であり、その2人が小鹿田焼を評価したことによって全国に名前が広がります。実際リーチが焼いた器が資料館に展示されているようです。
福岡県の「小石原焼」にルーツがあるんですが、実際同じように「飛び鉋」を使った器もあってとても似ています。窯元の場所もどちらも福岡と大分の県境周辺なので車で約40分程の距離です。
上のGoogleマップのように山間の小さな集落に窯元が10軒あり、集落の間を縫うように川が流れています。その川の流れを動力にして、「唐臼」という臼を使い陶土を挽いています。その製法はこの地に伝わった400年前から変わらないそうです。里の象徴的風景と言ってもいいでしょう。
小鹿田焼の里は、この窯元がある「皿山地区」と石積み棚田がある「池ノ鶴地区」は文化庁が選定した”文化的景観”に指定されているようです。確かに綺麗な場所ですね。
私も初めは里山の風景を写した写真がとても綺麗だったので興味を持ちましたが、小鹿田焼の長い長い歴史や技法を調べていくうちに器自体にも興味を持ち始め、素朴で洗練されたデザインがとても好きになりました。
と言いつつ実はまだ「小鹿田焼の里」には行ったことがありません…なぜかというと、毎年必ず9月後半のシルバーウィークに合わせて行くのですが、その時は台風シーズンで毎年面白いように私たちが行くと台風が直撃しています。
今年も実際大分へ行ったのですが、みなさんも覚えていると思いますが9月の3連休に台風18号が日本をなめるように縦断して、予定していた小鹿田焼の里も、というか外へ一歩も出れずひたすらトランプしていました。笑
(時期ずらせよって思う方もいると思いますが、なぜかいつもそのあたりがスケジュール合いやすいんですよね…)
実際に小鹿田焼の器を見る
この2枚が私の持っている小鹿田焼の皿です。これは去年湯布院に行った時にお土産屋さんで購入したものです。4寸皿と6寸皿の使いやすいサイズでとてもお気に入りです。
この2枚はそれぞれ皿の模様が違いますが、小鹿田焼の特徴的な技法である「飛び鉋」と「打ち刷毛目」を使った模様です。
飛び鉋
こちらが小鹿田焼の代表的な技法の「飛び鉋」の模様です。飛び鉋とは一旦ベースになる皿を成形した後、ろくろを回しながら生乾きの表土に湾曲した鉄のヘラのような工具を当てて、当てた時に反発して起こるバウンドで、小刻みに模様を付けていきます。(説明がムズいんで下の動画を観て下さい..)
決して派手な模様ではないんですが、連続する鉋の削り跡が気持ちいいですね。
打ち刷毛目
こちらが「打ち刷毛目」の模様です。打ち刷毛目とは、飛び鉋と同じく皿を成形した後の生乾きの素地に白土を塗って、乾く直前に刷毛を当てて模様を付けていきます。これもろくろを回しながら刷毛を当てていくのですが、刷毛を当てる角度や強弱で模様の濃淡が変わってきます。(これも動画観ましょ)
ろくろを回転させながら刷毛を当てるので、模様も直線ではなく中心に向かって緩やかに湾曲しています。その連続する模様が回転する風車のように見えて心地よいです。
まとめ
実際に小鹿田焼の器はヘビロテで使っています。模様があるので飽きが来ないんですけど、絵付けと違って素朴なのでどんな料理にも合いやすいです。そして適度に厚みがあって丈夫なので気を使わずガンガン使えます。その点はやはり民陶(民衆・大衆のための器)なんだと改めて思いました。
タイトルに”歴史と現在“と書きましたが、現在小鹿田焼の里は苦境に立たされています。
今年の夏にあった九州の記録的豪雨で集落に流れる川が氾濫して、先述した土を挽くための唐臼が集落にある45基あるうちの16基が完全に壊れてしまい、道路も寸断されて一時は里が孤立状態になってしまいました。その影響で毎年10月に行われる「民陶祭」も今年は中止になったようです。民陶祭は窯元の収入の1/3を占めていて、他にも注文を受けた数量を作れないなど厳しい状況が続いているようです。
なのでその応援を含めた意味でも今回是非訪れたかったのですがとても残念です。ですが小鹿田焼は全国でも買えますし、「小鹿田焼復興事業支援金」を募集しているようなので、私自身微力ではありますが、何らかの形で応援したいなと思っています。この記事を読んで小鹿田焼に興味を持たれた方も一緒に応援しましょう。
最後に小鹿田焼の皿を使ってスタイリング組んでみました。プロップのスタイリング超難しいですね。ナメてました。最初何していいか解らなくて立ちすくんじゃいましたよ。ちなみにお皿に乗っているのが、同じ九州繋がりでこの前「銀座三越」のデパ地下で買った鹿児島県名産の文旦漬です。とりあえず家にあるものかき集めて撮ってみました。”園芸家のコーヒーブレイク”をテーマにしています。笑